クリスマス・ブルー 第5話

 
 おれは地下の罰房に入れられた。

 床に大の字に貼り付けられ、何時間もそのまま捨て置かれた。なにされるでもない。ただ、放っておかれた。

 おれは天井を見上げて、ぼんやり歌を歌っていた。茫然自失していたが、自分がなにをやらかしたのかはわかっていた。

 主人をうしなったのだ。
 最後のチャンスを棒に振った。

(まただ)

 もはや悔しいとも思わなかった。誇ってもいない。ただ、自分にあきれ果てていた。

 以前、隣の犬が三階の回廊から飛び降りようとした。
 アンドリューという大柄なイギリス人だった。おれは彼がかわいかった。
 アンドリューは首輪をひそかにはずし、回廊の手すりから飛び降りようとした。

 おれはちょうどセルに戻されるところだった。あわてて身を乗り出し、その腰をつかんだ。だが、もろともに落ちてしまった。

 アンドリューは無事だったが、おれの右足大腿骨は粉々になった。ヴィラの高度な医療によってかなり回復したものの、以来、右足をスムーズに動かせなくなった。

 アンドリューは病室でおれのザマを見て、泣いた。

 ――あの人が来てくれると思ったんだ。怪我をしたら、少しは心配してくれると思ったんだ。

 アンドリューの大きな肩はふるえていた。ふとい指の間から、哀れな涙があふれて流れた。

 ――捨てられるぐらいなら死にたい。

 あの犬も同じだ。
 あの王様みたいなマキシムも、夜ひとりで泣いていたのだ。主人の関心を買いたくて、逆らった。
 クリスマス、ドムスに帰って来てほしかったのだ。 
 首輪をとりあげられたのは、つらかったろう。




 おれは翌日、罰房から出された。
 結局、なんの拷問もなかった。

「罰? 必要ないだろう」

 アクトーレスのジョニーは冷淡に言った。「おまえはもう誰の犬でもないんだから」
 主人は即日おれを売っていた。

(――従順な犬が好みだったな)

 ほんのわずかに奇跡を期待していたが、甘かった。
 おれは地下に戻された。

「舞い戻ってきたよ」

 かつてのクズ犬仲間の前に現れると、彼らは手を打って笑った。おれの幸運は妬まれていたらしい。

「またチャンスはあるよ。びっこの犬が好きってやつがいるかもしれねえ」

「もうない。最後のチャンスだったんだ」

「そうかい。じゃ、そこで泣いてな」

 おれはまたケージのなかで客を待った。
 むなしかったが、うしなったもののことは考えないようにした。
 客が来て、抱いていく。抱かれ、ケージに戻される。

 おれはことさらにジョークを言って、仲間とバカ笑いした。くだらないことで酒場の酔っ払いみたいに盛り上がった。ショップの店員に叱られてもやめなかった。

 おれは翌日、ドムス・アウレア番に変えられてしまった。
 ドムス・アウレア番といっても、ここでは寝る仕事があるわけではない。正面玄関の脇に座り、客があるたびにバスケットをくわえていって、クジをとらせるだけだ。なかで何かプレゼントが出るらしい。

 やること自体はたいしたことではないが、いかんせん寒い。アフリカでも十二月はそれなりに冷える。しかも、その日は小雨が降っていた。

 おれはサンタのような赤いケープをつけていたが、それが小雨にしっとり濡れて冷えた。奥歯がガチガチ鳴った。

「メイイイー・クリスマス、あうう、クジをどうぞ」

 呼び声にへんなヨーデルが混ざってしまう。水っぽい洟がたらたら流れた。
 ドアマンに蹴飛ばされながら、開かない顎にクジのバスケットをくわえて運ぶ。

(寒い。雪じゃねえか?)

 ふと顔をあげた。
 いつのまにか陽が落ちていたのだろう。大通りの輝きにおれは目を瞠った。

 通りにはルミナリエが夢のように輝いていた。幻想的な光の門が幾重にも重なり、神の城が浮かびあがっている。

 その下を、恵まれた人々が歩いていた。
 高そうなコートを着た主人たち。その足元に這う裸の犬たち。
 おれはぼんやり、それを見つめた。

 犬たちはみな、主人のそばにぴたりと寄り添い、懸命に手足を動かしていた。目はルミナリエに見とれ、子どものように輝いている。

 光のなかで、彼らはあたたかそうだった。愛玩され、やさしさにつつまれ、裕福そうに見えた。

「わんちゃん、そいつをおくれ」

 入り口に客が来ていた。バスケットを咥えていくと、その足元から若い男がぬっと頭を突き出した。

「ヨハン。クジを一個とって」

 主人に命じられ、男が鼻をバスケットにつっこむ。クジをくわえ、顎をあげた時、その首輪になにかがからまっているのが見えた。
 真珠のネックレスだった。

 客と犬が去ると、胸からガクリと力が抜けた。鼻の奥に水がつたう。ガキじゃあるまいし、と思っても、どうにもならなかった。

 ドアマンが叱りつける。おれはバスケットを咥えた。洟をすすり、クジを運ぶ。

 メリー・クリスマス。クジをどうぞ。

 鼻先を客の足がすぎる。はだかの犬がその後ろをいそいそついていく。
 エントランスの暖かい空気が一瞬、漏れ、またドアが閉まる。

 メリー・クリスマス。

 話し声がすぎていく。笑い声が、足音がすぎていく。
 おれはバスケットを置いた。

「メリー……」

 声が出なかった。おれはうずくまって顔を覆った。

 ホテルのスタッフが出てきて、おれをどやした。ウエリテス兵が呼ばれ、裏にひきずられていっても、おれはうずくまって泣いていた。




 使い物にならないというので、おれはまた地下に戻された。
 もうジョークも出ない。ケージの隅にうずくまり、ふぬけていた。

(しっかりしなけりゃな)

 と思う。泣いていたって、だれが助けてくれるわけでもない。クズ犬にふてている自由はないのだ。

 夕方、飯を食った後、おれはようやくケージの前に出た。

「ヒロ」

 すぐに店員がケージから出るように言った。

 アクトーレスのジョニーが来ていた。
 おれは気まずく目を伏せた。あれ以来、ジョニーの態度はビジネスライクになった。冷たくはないが、やさしくもない。

「なに?」

「もうおまえはここに出なくていい」

 彼はついてくるように言い、ショップの奥へと入った。

(もう出なくてもいい?)

 おれは彼のふしぎな言葉にひっかかった。

 ――まさか。ご主人様が。

 考え直してくれたのか。やはり、おれが一番いいって?
 おれは自分のこころを叱りつけた。

(そんなムシのいい話があるか。絶対ない!)

「ここに入って」

 ジョニーが部屋の扉を開ける。
 おれは、絶対にない、と思いつつ、主人の姿を探した。

 主人はいなかった。
 かわりに棺おけがひとつ、部屋の中央に置かれていた。

 背後で戸が閉められた。
 おれはジョニーを見上げた。ジョニーは無表情におれを見て、

「今日でさよならだ」

 と言った。

 無機質な、なにもない部屋に、棺桶だけがぽつんと置かれていた。
 細い、人がひとりやっと入れるほどの箱だった。なかに白バラが敷きつめられていた。

 腰の力が抜けてしまった。おれはへたりこみ、棺桶を見つめた。
 涙がどっと流れた。
 今日だったのだ。今日が期限だったのだ。

「薬を打つから、そこに寝てくれ」

 ジョニーは淡々と言った。おれは動けなかった。茫然と涙を流し、へたりこんでいた。
 ジョニーの手が触れる。

(ヒッ)

 おれは逃れようとして、腰くだけた。立てない。

「最後まで手をかけさせんなよ」

 ジョニーはおれを抱え上げ、箱のなかへおろした。おれはぐにゃりと伸びてしまい、抗うこともできなかった。

(まだいやだ)

 だが、声がろくに出ない。死の力に圧倒され、全身の筋肉が萎えてしまっていた。

(たすけてくれ。ジョニー)

 涙だけがあとからあとから流れる。
 殺さないで。もっと客をとるから、まだ殺さないでくれ。

 ジョニーが銀色の箱を出して、注射器を手にする。毒薬を吸わせ、おれに近づいた。

(ジョニー……)

 知らない男のようだ。はじめて会った時のように彼は表情を消していた。
 彼の手がおれの腕をおさえた。
 チクリと痛み、細い針が埋め込まれる。

「ッ――ぎッ……」

 振り払おうとしたが、ジョニーの手が鉄の輪のように押さえていた。透明の薬液がゆっくり押し込まれてくる。

(あ、ああ)

 おしまいだ。

 ジョニー、なにがいけなかった? おれはなにがいけなかった?
 マキシムに恋をしたから? 
 アンドリューの下敷きになったから?

 おれはここで犬にされた。男に抱かれ、おもちゃにされた。すっ裸にされ、何もかも奪われた。
 みじめな犬だ。そんな犬がほかの男に恋をした。
 胸のなかに、ちっぽけな楽しみをもった。ほんのわずかな魂のご馳走を味わった。
 愛した相手に哀れみをかけた。しかたなかった。
 男なら、しかたないじゃないか。

(……)

 眠くなっていた。まぶたが重い。心地よく、眠い。
 ジングルベルが聞こえる。ショップの音が聞こえているのだろうか。

 ジングルベル。ジングルベル。
 世の中はクリスマスだ。世界中、電飾できれいに飾り付けられているだろう。
 あのルミナリエのように残酷なほどきれいだろう。

 おれはここでおしまいだ。年を越せなかった。

 おれはようやくふわふわと唇を動かした。

「ジョニ……今まで、ありがと……」

 ジョニーがはっとおれを見た。彼は顔をこわばらせ、答えなかった。



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